2012.05.20

邦太郎雑記「日本古来の伝統的な稲作」

 今は昔と違いコメ作りも近代化され、人の手は殆ど必要としないほど機械化されている。
 われわれ子供のころは牛馬もいなく、人々は朝は朝ぼし、夜は夜ほしをいただいて寝る間もなく働いていたものである。
 それでいて一反歩(300坪=約10アール)当たり4,5俵しか取れなかったが、今では20俵は取れると言われている。
 世の中変れば変ったものである。しかし、油断は禁物である。如何な人間の力をもってしても自然の力にはかなわない。そして人間というものはわが身に降りかかってくる災難をも顧みずあの原発という恐ろしいものを平気で作ってしまうのである。
 昨年は、あの一連の大震災や人災で、もはや田植えどころの騒ぎではなかったが、今年もまた生産地では泣く泣く手をこまねいていることを忘れてはならない。
 米作りは殆ど一年を通しての農作業である。私が子供のころに経験したあの田植えの情景や骨身惜しまず働いていたあの頃の心地よい思い出に耽りながらその足跡をたどってみることもあながち無駄ではあるまい。

 riceballriceballriceball 田越こしから取り入れまでの流れriceballriceballriceball
1、田越し(たおこし)
 田の土を砕いて緑肥などを鋤き込む。
2、代掻き(しろかき)
 圃場(ほじょう)を整え田植えに備える(代掻き)。
3、苗代(なわしろ)
 稲の種・種籾(たねもみ)をまき、発芽させる(籾撒き)。
4、圃場(ほじょう)の整備
 苗代で発育した苗を移植するために本田(ほんでん)を整備する
5、田植え
 その大方は、「ゆい」と言って集落の家々相互間で、双務的に力 
 を貸し助け合って田植え・稲刈.などをしていた。
6、除草(じょそう)
 稲が実を付けるまでに数回定期的な雑草取りを行い、肥料を散 
 布する。
7、取り入れ
 稲が実ったら刈り取る(稲刈り)。
8、天日干し(てんびぼし)
 刈り取った稲を稲架(馳せ)にかけて乾燥させる。
9、脱穀を行い籾(もみ)にする
 (今はコンバインといって刈取り、脱穀、選別まで一気にやってし
 まう時代である) 
10、籾摺り(もみすり)を行う
 もみ殻を剥いて玄米にする。
11、精白(せいまい)
 搗精(とうせい)を行い、玄米を白米にする。

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2012.05.11

邦太郎雑記 「母の日」に贈る

5月の第2日曜日は母の日である。

母が他界して30年が過ぎた。生きてる間はろくに親孝行もせず、さりとて親不孝もしないで済んだが、われもまた80ともなれば子供のころが懐かしく思い出される。

今にして親を思うは「あヽ遅かりし由良の助」だが、ちょっと待ってちょう、そちらへ行ったら今度は存分に親孝行するから、今年もまたカーネーションとケーキで我慢しておくれなはれ m(. ̄  ̄.)mス・スイマセーン 

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2012.05.07

邦太郎雑記 「5月7日・満80歳の誕生日」を 迎えて

      バースデーケーキPhoto


エクセルでイラストを描く方法は、ダウンロードから「ファイル」を開いてご覧ください。
            downwardright
「btrthday.doc」をダウンロード

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2012.05.06

邦太郎雑感 「傘寿を迎えて」 目に青葉 山ホトトギス 初カツオ

5月7日は私の80歳の誕生日である。

桜花爛漫、花の季節もアッという間に通り過ぎ野にも山にも若葉青葉が目に映えるころ、毎年この時期に生まれたことを感謝している。

しかし、80歳といっても特別な感慨はない。昔は80歳ともなると村中で傘寿の祝いで大変なものであったが、今の時代はそんなことはない。

60、70鼻たれ小僧、80にして漸く老境の入り口にさしかかったというところであろう。傘寿の前の長寿祝いは一般的には還暦祝いが60才、古希の祝い70才、喜寿の祝い77才である。

ところが実際には年齢より若々しい人が多い現在では、傘寿の祝いあたりからが「長寿祝い」らしくなってくるのかもしれない。

傘寿の由来は傘が中国語の略字で八十と読めること、また傘が開く、末広がり、などの意味から「傘寿」と言われるようになったという説があるが、実際には日本の男性の平均寿命は70歳代であるから傘寿は本当の意味で長寿を祝うというはじまりになるのではないだろうか、

13日の日曜日には子供や孫たちが老躯をいたわってくれるとあって何やら計画を立てているようだが sign02 もう、この年になると欲も得もない。

毎日粗食で一杯の焼酎を飲んで好きなことをやっていればそれだけで満足である。それこそがボケもせず、まさに長生きの秘訣なのかもしれない。

人間いつかは死を迎えることになるのだがあとは運を天に任せるほかはあるまい。この頃は何か天変地異でも起こっているのだろうか、天候がようとして定まらない。・・・・・今年もまた灼熱の夏がやってくるのだろうか、今はそれだけが気がかりである。

          目に青葉
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          山ホトトギス
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          初カツオ
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                          白石・画

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2012.04.29

邦太郎雑記[ゴールデンウィーク]真っ只中

 今年もゴールデンウィークに突入して二日目好天に恵まれ各地の行楽地もごったがえしている !!?・・・・・・・・と思いきや、またまた自動車事故で大勢の人たちが死傷したというニュースが飛び込んできた。
 
 狭い日本そんなに急いでどこへ行くではないが、昨年から今年にかけて天災・人災が相次ぎ日本には安心して住める場所はないのだろうかと・・・・・と思案投げ首の態 ┐(´д`)┌ヤレヤレ

 前々回のブログに「竹林とモグラ」のイラストを載せたが、よくよく考えてみるとモグラの生態.は地下にトンネルを掘り、ミミズや幼虫を食料にし土の中で生活する。
 
 だから、あんな重労働で穴掘りをするモグラが、十重二十重に根を張りめぐらす竹林などで掘削作業をするはずがない。やはりモグラという動物は小高い丘とか畑などの水はけのよいところに巣作りをするのが自然であろう。

 竹といえばやはりパンダである。前回の不手際のお詫びに上野動物園の「リーリーとシンシン」を思い浮かべながら描いたイラストを改めて掲載することにしよう。

 「竹林に旬の竹の子パンダも大喜び」 (クリックして大きくしてみて下さい)
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                2012/4/29 shiraishi

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2012.04.26

邦太郎通信 「はとがやPCサロン」      会報5月号

3月1日に「はとがやPCサロン」が発足して2ヶ月が過ぎた。

当初はどうなることかと心配していたが、先ずは順調な滑り出しでホッとしている。会員相互の絆も深まり、それぞれ楽しみながら和気あいあいと授業が進められることに感謝している。

会報5月号が出来上がり、学習の成果として一部会員の作品数点とともにここに掲載します。

「5.docx」をダウンロード
upwardrightダウンロードし開いてご覧ください。

ピカピカの一年生
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さくらにメジロ
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わがやの四季の移り変わり
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旬の竹の子
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2012.04.24

邦太郎雑記 「筍の昔話」良寛和尚の逸話から


 良寛の逸話は500話程もあるという。谷川敏朗著「良寛の逸話」は、そのうち449話を載せている。

 どこまでが真実かということになると疑問も多い。偉いお坊さんなのに一風変わった所もあって、村人の話題になっていたのであろう。中には、多少面白おかしく誇張されて語り継がれた話もあると思われる。

 逸話の中で、解良栄重(けらよししげ)が遺した『良寛禅師奇話』は、良寛存命中に接点があった人の遺したものだけに、真実に近いものが多いと言われている。

 その「奇話」の中にユーモアあふれる逸話が30話ほど含まれている。 ここでは、逸話の中から、思わず笑いが込み上げてくるような「筍に関する逸話をご紹介しよう。

 まず、誰でも知っている「竹の子」の話だが・・・・・

☆「竹の子のために便所を焼く・床板をはがす」話
 良寛が五合庵におられた時のことである。竹の子が便所の中に生え、屋根の伸び先を邪魔されていた。和尚は、蝋燭をともして屋根を焼き、竹の子が通るだけの穴を開けようとした。
 ところがその火が延焼して、便所ごと焼けてしまった。 ある年、庵の床下に竹の子が生えた。和尚は床板をはがしてその成長を助けた。
 そして、竹の子が大きくなり、屋根を突き破っても気にかけることもなく、その下で座禅をし、寝起きしていた。

☆「おれがの」「ほんにおれがの」の話
                       
 物を失くしたり忘れる癖のあった良寛は、忘れた時のために本や笠などにこの文字を書いておいた。
 「良寛の」ではなく「おれがの」(俺の物という意味)と書いた。「おれがの」だったら、誰が持っていても「おれがの」なら問題が起こらないという良寛の優しい心遣いを感じる。

 さすが竹の子までは「おれがのもの 」とは書かなかったが、、昔はだれでも竹の皮を拾いおむすびを包み、また梅と一緒に漬け込んだシソの葉を包み甘酸っぱい梅汁をチュウっチュッと吸って重宝したものである。

      竹林に竹の子とモグラ
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2012.03.29

邦太郎雑感「長屋の花見」

今日は一日、いい日和でポカポカ陽気、ようやく春が巡ってきたようである。

去年の今頃は東日本大震災の影響で花見どころの騒ぎではなかったが、今年も桜の開花が遅れているようである。

東京の花見どころと言えば上野のお山をはじめ向島の隅田堤に品川の御殿山、ちょっと遠出をすれば小金井が主なところ、桜の植栽事業では、なんといっても八代将軍徳川吉宗の有名なお王子の飛鳥山である。

しかし、桜の植栽事業と言えば、上野のお山の植樹は、もっと早く三代将軍家光の頃には始まっていて、寛永寺を開いた天海僧正が桜好きだったことから、家光が吉野山の桜を植樹することを命じたのが始まりとされている。

江戸の花見は無礼講といわれ、たとえば、大店ならば、旦那、番頭、手代に丁稚のわけ隔てなく、長屋は大家も差配さんも店子もいっしょに、みんなで等しく大騒ぎしたともいわれている。

私らも子供のころには、長屋の連中が打ち揃って花見に繰り出す中に混じって出かけたものである。まあ、福島県は郡山なら開成山あたりに出かけ男たちは酒を飲み草競馬に打ち興じ、女たちは我が家の味自慢とばかりに重箱を開いて飲めや唄いやの大騒ぎをしていたものである。

昔は、遠い親戚より近くの他人と言って向こう三軒両隣、米や味噌醤油などの貸し借りは日常茶飯、隣の所帯などとうにお見通しだから恥も外聞もない。物の豊富な現代とはかなり雰囲気が違い羽目をはずしてのどんちゃん騒ぎには他人とは思いない親しみがあり風情があったものである。

花より団子なんて花も見ないで酒を飲み騒ぐ、そんな現代の花見のステロタイプに辟易とするとは、これは個人的でやや勝手な想像だが・・・・・このころの花見には味気ないものがある。

   桜の花が満開のころにはピカピカの一年生の登場である。
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一年生(男の子)のワードで描画組立手順のファイルを添付します。ダウンロードしてご覧ください。

「dannsi.doc」をダウンロード

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2012.03.25

邦太郎通信「はとがやPCサロン」第1回作品集

2012年3月1日「はとがやPCサロン」が開講した。

現在ここに集う会員16名はパソコンを楽しみながら、あらゆるジャンルに向けてスキルアップをめざし、週一回講習会を開催することになった。

3月はワードを使い季節にちなんで「さくら」をメーンテーマに創作を行った。ここに掲載するのはその作品集の一端である。

そんなわけでブログの更新もままならなかったが、このところ落ち着きを取り戻してきているので、これからはそんなに間をおかず更新できると思いますので、今後ともこれまでに倍してのご支援を賜りますようお願い申し上げます。

なお、会報4月号も添付しますのでダウンロードをクリックしてご覧ください。 downwardleft
「no3.docx」をダウンロード


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2012.03.03

邦太郎雑記「3月3日のひな祭り」PCサロンの発足を祝う

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今日は3月3日の雛祭りである。
これまで閏年の2月29日には雪が降ったという統計はなかったようだが、今年は関東地方も大雪に見舞われ大変であった。昨日はまた雨の日で寒い一日だったが3月1日は、このところ天候に恵まれないなか、その合間をぬったかのように気温も上がり穏やかな日であった。
この日「はとがやPCサロン(Q&A)」が、無事発足した。参加者は当初の予定人員を遥かに上回り盛況のうちに創立総会を迎えることができたことは発起人の一人として喜びに過ぎたるものこの上もない。
その昔、中国の戦国時代のことわざに「鶏口となるも 牛後となることなかれ」という言葉があるが、大きな団体の尻馬に乗って烏合の衆と化すよりも小なりと言えども世のため人のためになれるあつまりであればいい、内にあっては病気にも負けず、貧乏にも負けず、ボケもせず、これから先元気に楽しく過ごせればいいという朗老の団体としてゆったりと歩んでいければいいと思っている。
これから毎週木曜日が楽しみである。
                            さくらにメジロ
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